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August 08, 2005

3つの議論

議論には、大別すると3つの種類があると思います。

1.議論のための議論。いわゆるディベートや討論など。
2.問題解決の答え、または妥協点を見出すための議論。
3.好き嫌い論。主に自分の主観や感想を言い合う会話。

1.は、議論することが目的です。 論理や弁論の優れた者が勝つ、ゲーム性の強いものです。 ここでは明確な答えを出す必要はなく、ある事柄について「じゅうぶん議論したよね。」という事実が残れば良いのです。 もちろん勝敗のつかないことだってあるでしょう。

2.は、会議や打ち合わせの場にて、何かの方針や仕様を決定したり、出席者の同意を得たりするために行われる議論です。 時間の許す限り、結論や妥協案が出るまで繰り返し続けられます。

3.は、議論ではありません。 ですが、好き嫌いを論じることが議論だとカンチガイしているのが実状です。 参加者は互いに好き嫌いを語ってるだけなので、感情的な言い争いになったりモメたり炎上したりして収拾がつかなくなりがちです。

【ディベートの良い点・悪い点】

1.のディベート能力に長けた人は、2.の会議において自分の意見を通すことができます。 しかし、3.の好き嫌いの場で得意のディベート術を披露しても、周囲から「空気の読めないヤツ」とウザがられるだけかもしれません。 TPOをわきまえましょう。って、僕のことか。

【会議の場におけるディベート】

会議室に10人居たとして、実際に議論してるのは2~3人だったりします。 ディベートでは、無言の参加者を如何にして自分の主張に引き込むかが大事です。
会議の場でのディベート術は手段であって、肝心の目的は「問題の解決」です。 対立する意見の中に「良い考え」があれば積極的に取り入れて、最良と思われる解決案を探るべきです。

【馴れ合いの場でのディベート】

馴れ合いブログのコメント欄に乗り込んで、理路整然と異論を述べても、「よく分からないけど偉そうな口調はイヤ。」と拒否されて終わりです。 上下関係など全く意識していない素朴な指摘に対して、「上からモノを言われているような気がする。」と返されたら、「いったいどのくらいへりくだれば気が済むのか?」 もしかして、「土下座して話せば聞いてもらえるのかい?」と思ってしまいます。

発言の前に、「私はあなたの下僕です。これから生意気にも意見などさせていただきたいと愚考ながら考えております。ご都合はよろしいでしょうか?」と、イチイチお伺いを立てないと反論できないような場所では面倒くさくてコメントできません。(*1)
まあ、賛同コメントがたくさん並んでいて、反論しにくい雰囲気もありますが。

【共感と反感】

以前、記事の中に書いた一文を引用します。

~ ぽんすブログ:やっぱり人命は軽いのかより引用 ~

さて、人の感情は共感と反感の間で常に揺れ動いています。 要するに、好きか嫌いかです。 自分と直接の利害関係はなくとも、与えられたイメージと受け取った時の主観、ならびに、関連情報への先入観や事前知識、自分の立場や環境などによって、共感か反感かがほぼ決まります。 それが本当に正しい印象なのかどうかは別にして。

好き嫌いの感情が高まると、自分の利害など忘れて対象に没頭します。 好きな場合は自分を犠牲にしてでも好きな対象に全身全霊を注ぎ込み、嫌いな場合は全力を掛けて対象を潰しにかかります。 人間の持つ感情のパワーは、とてつもないエネルギーを秘めています。 この情熱のチカラをうまく制御してバランス良く活かせたらいいなあ。

~ 他人の不幸は蜜の味さんより引用 ~

Web上で巻き起こる議論の出発点は所詮「好き嫌い」でしかない

出発点は「好き嫌い」でも良いと思います。 問題は、その話し合いが「好き嫌い信仰」のまま進行して、次第に「言い争い」へと激化してしまうことです。 口汚い言い争いは議論ではありません。

~ 同、引用 ~

好き嫌いって、議論の結果で瞬間的に変わるものではないのですよ。
論破されたからって、奥さん、それを好きになるんですか?!(みのもんた風に)

もちろん、その通りです。 好き嫌いベースのエセ議論は、相手の趣味嗜好を否定してるワケで、誰かに否定されたからと言って、自分の「好きなモノ」が急にキライになることはまずありません。 反対派との遣り取りの中で否定された「自分の好きなモノ」を擁護することによって、もっと好きになる可能性が高い。 つまり、否定は逆効果でしかない。

ですから、「○○が好き」と言ってるブログ記事や掲示板に対して「○○は全然ダメだ!」と否定意見を書き込んでも無駄無駄無駄ッ!貧弱!貧弱ゥ!UUURRRRYYY!!

ハッ! 今、仮面の男(*2)が現れたような……;

~ 他人の不幸は蜜の味さんより引用 ~

(議論を)プロセスを楽しむゲームとしてやるのならよいけれど (中略) コミュニケーションの目的を「相互に受容しあう事」に置いた場合、「正しい議論を完遂する事」なんて屁みたいなもんですよ。

うーん。 この部分には違和感があります。 「議論」と「コミュニケーション」は違うものなのではないでしょうか? 違うというより、「コミュニケーション」の大きな括りの中に、1つのパーツとして「議論」がある、と思うのです。

【議論とコミュニケーション】

議論の種類(iwatamの個人サーバ)

この↑Webサイトの定義によると、議論には

・討論
・議決
・対話

の3種類があるそうです。

これらを、私が冒頭で述べた種類とマッチングさせてみると、

・討論:「1.議論のための議論。」

・議決:「2.問題解決のための議論。」

・対話:該当なし。

となります。

「対話:該当なし。」と書きました。 ここで、少し前に触れた、「対話」=コミュニケーションは「議論なのか?」という疑問に戻ります。

【対話は議論なのか?】

対話は、議論の種類ではなく、議論の前提にあるものです。 それでもなお、「対話」を議論の種類に含めるのであれば、理想の議論は、まさしく文字通り「対話」によって成されるでしょう。 相互理解のための議論は勝ち負けではないのだから。

【まとめ】

議論には3つの種類がある。

1.討論:議論のための議論。
2.議決:問題解決のための議論。
3.エセ議論:好き嫌い論。

議論の前提に「対話」があり、討論ゲームには「ルール」がある。
対話もルールもない言い争いは議論ではない。

以上。


次回:議論とは、相互理解である。へ続く。


(*1)「こちら、批判になりま~す。ご都合は以上でよろしかったでしょうか?」(from 問題な日本語)
意見を述べる際、過剰にへりくだって書くと今度は、「なんだかイヤミですね。」と言われるのがオチです。 一切の反論を受け付けない姿勢は、つまり、自分と異なる意見の中から新たな発見を得る機会を失っているワケで、もったいないオバケが出そうです。 今夜。

(*2)仮面の男
ディオブランドーです。 オロカメンではないことに注意。


トラバ送信先:
ブログ上の議論が不毛な結果に終わりがちな理由(他人の不幸は蜜の味さん)

参考:
ブログと議論のエトセトラ(不倒城さん)
反論とは、「もう一度考えてください」と伝えたいだけなのです。(304 Not Modifiedさん)
議論という字を 辞書で引い…てはないか。(あれとかこれとか (Lefty)さん)
マニュアル敬語について考える(BLOG STATIONさん)

逆リンク:
インターネットを通じたコミュニケーションを考える(不備日報さん)

関連記事:
議論は勝ち負けぢゃないよ

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