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April 26, 2005

ブログの向き不向き

僕は、ブログに向いてない人なのかもしれない。

最新のニュースを取りあげて自分なりの意見や感想を述べ、他者と論じ合う。

1.どこかで悲惨な事件・事故が起きる。
2.新聞やテレビで得た情報をそのまま書く。
3.しかし、事件の当事者ではないので、ニュースソース以上のことは書けない。
4.自分の感想なり意見なりを少し添えて載せる。
5.同様のブログ記事を探してコメント・トラックバックを打ちまくる。
6.コメントありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます。
7.トラックバックありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます。

人間の生き死にをネタにしておいて、「ありがとう」はないだろ?

それが、ブログらしい使い方なのは分かる。 にしても、「心配です」とか「ご冥福を~」以外のコトは書けないのか?
そんなエントリを書くなとは言わない。 私も脊髄反射的に記事をアップすることはある。 そういう使い方をするのがブログなのだから。
でも何か釈然としないものがある。

例えば、「昔、事故現場近くに住んでいた」とか、「あわや大惨事に巻き込まれるところだった」 「肉眼で目撃しました」 「関係者です。当事者です」 「自称専門家です」など、その人にしか書けない記事を私は読みたい。

・・・

ブログ管理人:「そんなことを言ってたら何も書けないぢゃないか!お前だって書けないだろ?」

TAKO@ぽんす:「はい。書けませんね」

管理人:「悲惨な事故を見て、お前は何とも思わないのか?」

TAKO:「思うことと、記事を書くことは別です」

管理人:「この記事だって、広い意味では事件をネタにして書いてるワケだろ?」

TAKO:「そうかもしれませんねー」(福田 元官房長官風に)

・・・

ある事柄について何かを語ろうというのなら、その分野に関連した知識や経験がある程度必要だとは思いませんか? 知らないことは軽々に言及しないのが賢明かと存じます。

やっぱり僕はブログに向いていない。


参考:トラックバックのあり方(Blog向上委員会さん)
参考:トラックバックありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます・・・(油小路ニュー中猫屋さん)

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Comments

「たったひとつのたからもの」に関しても、同様のことがあったわよ。

泣いた。泣けた。泣けなかった。
泣いた。泣けた。泣けなかった。
トラックバックありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます。

日に日に増える数百ものサイトの中をかき分けかき分け、一粒の「光る感想」を探し出す作業が続きましたね。

「すぐネタにしたい」って人が多いから、それはそれで仕方がないことなのかもしれない。
それでも「遺族」が存在する事故に関しては、不謹慎な気がしますよねえ。
この抵抗感が「ブログ人の資格がない」っていうんなら、わたしはそれでいいや。
つ~か、その方がいいや。

Posted by: S嬢 | April 26, 2005 at 10:02 PM

なんだかなぁ、と思うのは、事故被害者のことを、哀れんだ記事の最後に、

「ランキングに参加しています!」のバナーがあったとき。

Posted by: えっけん | April 26, 2005 at 10:18 PM

こんにちは。いつも楽しく読ませてもらっています。

個人レベルのブログならそれでいいのではないでしょうか。
論客のブロガーもたまにはいますが、ブログは万人に開かれたツールなわけですし、みんなそれぞれ人に何かを伝えたいと思っていて、その手段がブログであるだけですから。コンテンツとクオリティはまちまちで当然で。

なんだかなー、という行動についても、ブログの中だけに限らず、リアルな世界でもそういう人はたくさんいますし、そういった行動をとってしまうことはよくあることです。

だからブログ自体に向き不向きはあまりないと思います。
また今後もエントリーを楽しみにしています。

Posted by: たろ | April 27, 2005 at 01:02 PM

S嬢さん

>泣いた。泣けた。泣けなかった。

感動を共有するのは悪いことではないのですが、それらの感想を読む(読まされる)側からすると、「もう、お腹いっぱい。」になりがちです。

>一粒の「光る感想」を探し出す作業

砂金探しは大変なのです。 もっとラクに見つけたい気もしますけど、苦労したからこそ、出会えた文章に感動したりもするワケで。
最近は、Googleのページランク・システムにおける「ブログ」の格付けが異常に高いように思えて、どうでもいい記事が「ブログだから」という理由でトップに並んでたりしますよね? 徒労の色がますます濃くなる今日この頃です。
スパマーどもにとっては、ブログが上位に並ぶのは便利なコトなのかも。 「ターゲット(カモ)が探しやすいゼ!」ってな具合に。

>「遺族」が存在する事故

感想を書くことは問題ないと思うのです。 分からないのは、その後の「トラックバックを打ちまくる感覚」と「お返しトラックバックを送信する行為」なのです。 「無神経にもほどがあるだろ?少しは考えろ!」と怒りを覚えます。

「あなた達のやっているコトこそ、速度超過の脱線行為なのでは?」と文句のひとつも言いたくなります。 仮に、それがブログのやり方だとしても、そんなトラックバックは願い下げです。

ここで、例の事故についての所感を述べます。

1秒1円を切り詰めることに全力・全神経を注いだ結果、交通機関そのものが使えなくなり、莫大な被害額と補償額が必要となり、取り返しのつかない多くの人命が失われました。 小さなミスを隠そうとして、より大きな事故を招いてしまう。 本末転倒という言葉では、もはや表現不足です。
やり場のない怒りの矛先を向ける相手は、日々現場で頑張っておられる運転士の方々ではなく、彼らに過度のプレッシャーを与え続けている見えない「何か」だと思います。
その「何か」は、例えば教育現場における教師達への重圧と、根底では同質のものかもしれません。 いったい何が最も大切なコトなのか? その肝心な部分を忘れたトコロに、禍々しい事件や事故が起きているような気がします。

「失敗を隠さなくてもいいんだよ。」 「オーバーランしてもいいんだよ。」 「少しくらい遅れたって構わないからね。」 「給料にも昇進にも影響ないからね。」と、安心して仕事に取り組める環境であったなら最悪の事態は防げたかもしれません。
当然、適度の緊張感は必要です。 ただし、異常な緊張を強いる原因部分に問題はなかったか? 担当者を追い込んで追い詰めて、周りを見えなくさせてやしないか?
神経衰弱は、トランプ遊びだけの世界にして欲しいものです。

以上、虚しい私の所感でした。

>この抵抗感

「何か変だ、おかしいゾ?」と思える抵抗感(疑い問う姿勢)は失いたくないものです。

>つ~か、その方がいいや。

ブログ界全体から受ける印象が、あまりに軽薄なものだったとしたら、その中で(長めの)記事を書くことがムダに思えてきます。 投稿の作業が簡単だからなのか、ライトな感覚で運営するのがブログ一般のスタイルなのでしょうか。 もちろん、更新の手続きがラクなのは良いことです。 その恩恵を受けて、こうして書いているのですから。

「お前はブログ向きぢゃないし、その資格もない。」と直接コメントされたワケぢゃないのに、こんなエントリを書いてしまう妄想ネガティブ思考の私は、やっぱり向いてないのかも。(笑)

でも、それでいいです。 私は私だし、S嬢さんはS嬢さんなのですから。

・・・

えっけんさん

>「ランキングに参加しています!」のバナー

クリック誘導型のランキング・バナーを記事中に見た瞬間、バイアスがかかってしまうのは仕方ないでしょう。
トラックバック・ランキング然り、偏見を生む原因を作っているのは、上位ランカー達自身なのですから。
でも、他薦によるランキングは意味があると思いますよ。

・・・

たろさん

「タロさ」と書くと、Dr.スランプを思い出すのは私だけでしょうか?

はじめまして、こんにちは。

>人に何かを伝えたい

おっしゃる通り、そのためのブログです。 ただ、その伝え方(トラックバックの使い方)がスマートぢゃないなぁ。と、危惧しているのです。

>リアルな世界でもそういう人はたくさんいますし

確かに。 ですが、遭遇する確率はネットのほうが高いので余計に目につきます。 黙って見過ごすのもテだし、こうして記事を書いて小さな声をあげるのもテです。

>ブログ自体に向き不向きはあまりない

もう少し気軽に書いたほうがイイのかな、と自分でも分かってはいるのです。 しかし、ついつい、「ブログとは何か?」とか「トラックバック本来の姿は?」とか「自分は何者で、どこから来てどこへ行くのか?」とか考えてしまうのです。 そして堂々巡り、答えの出ない脳内旅行へ出発です。(笑)

>また今後もエントリーを楽しみにしています。

ありがとうございます! がんばります!!

と言いたいところですけれど、しばらくの間、更新を停止します。 少し虚しい感情が自分の中にあるのも理由の1つですが、今日(4/28木)から2週間ほど、ネットの無い環境に身を置くことになるのが最大の理由です。 なので、もしコメントをいただけたとしても返事ができません。 それと、ネット界の浦島太郎になりそうで怖いです。

というワケで、しばしお別れです。 さようなら~♪。

皆さん、コメントありがとうございました。 でわでわ。

Posted by: TAKO | April 28, 2005 at 03:03 AM

えっとコレ。
http://1470.net/mm/mylist.html/438?date=2005-05-20

ブログ二つがおもしろい。
特に「まっち~」んとこが、いいですね。

Posted by: S嬢 | May 20, 2005 at 05:25 PM

S嬢さま

貴重な情報ありがとうございます。 まっち~さんの記事、とても良いですね。 こういう記事を、私は読みたい。

まっち~さんの記事に「竹中工務店」の話がありました。 竹中工務店は確か、耐震(免震)建築で有名な業者だと聞いたことがあります。 記事にあったような、阪神淡路大震災の経験が活かされているのかもしれません。

では、私からも、ブログを紹介いたします。

福知山線事故生還から二夜あけて。《脱線事故全記録》(iologさん)
http://io5.no-blog.jp/iolog/2005/04/post_60b2.html

↑ご存知かもしれませんけど。 でわでわ。

Posted by: TAKO | May 20, 2005 at 07:15 PM

>↑ご存知かもしれませんけど。

いや、知りませんでした。ありがとう。
じっくり読んできました。
生還者が、いい意味で、自分のために、自分を助けるために書いているという感じもしました。
自分を助けるために「今」を見つめているというか。

さて、時間がたってのコメントレスですが。

>彼らに過度のプレッシャーを与え続けている見えない「何か」だと思います。

昨夜、友人と電話で話し込んでいたのですが。
その前に、概要を知らせるFAXが入ってまして。
簡単な回答の概要を、送り返しておいて、夜になって子どもが寝てからの会話ということになっていて。
この話題がね、教育というものの中で「罰を与えるやり方」をとる教師と、その中での子どもの様子、親のあり方、なんていうものでした。
障害児教育の中で、時々いるんですよね、「体力づくり」と称する「マラソン」を、罰則として機能させようとする方が。
障害によっては、目に見えた効果が出やすいということが、教師の教育力の自信につながるようで、抵抗が簡単にはいかない。

で、こうした教師の「教育」の流れを、ちょいちょいと崩すテクと、親子が「罰則から与えられてしまう精神の不自由さ」から逃れるテクってものを、伝授などしていたのでありました。

精神的に追い込むような「罰」を伴う教育ってのは、わたしは非指示の立場をとりますが。
指導の立場で、「罰を伴う教育」に効果有りって立場をとる人は、どんな世界でも存在するのだなあと、雑感として思った「事故」ではありました。

Posted by: S嬢 | May 20, 2005 at 10:58 PM

S嬢さん

>自分を助けるために「今」を見つめている

おそらく、彼女の人生観に大きな影響(変化?)があっただろうと思われます。 良くも、悪くも、です。

この件に関連して、トラックバックについて思ったこと。

よく、大量トラバを送りつける人達の言い訳として、「情報の共有」とか「情報の提供」とかを耳に(目に)しますが、彼らの発する情報にどれだけの価値があるのだろう?と疑問を感じるのです。

今回、S嬢さんから教えていただいたような、良い意味で「読ませる」記事を書いておられる方々は、自ら進んで大量トラバ送信をしないワケで、いったい「情報の提供」とは何だろうかと考えることしきり。
自分が「読みたい。」「読んで良かった。」と、心から思えるような記事との出会いは、大量トラックバックで送りつけられる記事の中にはなく、もしあっても、ごく僅かだと思うのです。

紹介したブログ(iologさん)は、私の巡回先ブログのコメント欄から辿って行って見つけました。 Google等は一切、未使用です。
結局は、自分で探したり、交流ある方からの提供を得たりするほうが、はるかにマシなのだなあ、と。(今回のように。)

>「マラソン」を、罰則として機能させようとする

子供達の「やる気」をいかに引き出すか? そのキーワードは、決して「罰」ではないと思います。 でも、「賢い」大人はついつい、カンチガイしがちですよね。

JR西日本の運転士も、教師達も、子供達もみんな、見えない「何か」に怯えながら仕事したり教えたり勉強したりしてるのかもしれない。 日勤とか重圧とか体罰とかを恐れながら。

>精神的に追い込むような「罰」を伴う教育

私も反対です。 支持しません。

>「罰を伴う教育」

「教育と罰」について、私からも1つ。

ある学校で、ミスを犯した1人の生徒に対して「放課後、残って勉強しなさい。」と指導した先生がおりました。 先生は、「罰」として勉強を命じたつもりでした。
放課後、先生が、教室へ生徒の様子を見に行くと、なんとそこには、クラス全員が残って勉強する姿があったそうです。 「どうして全員残っているのか?」と訊いた先生に、生徒達はこう答えました。

「勉強は楽しいこと。」 「放課後の時間まで使って楽しいことができるのなら、私達も一緒に勉強したい。」

先生は赴任したばかりで、この学校の(正しい)教育方針をよく理解していなかったがために、おかしな「罰」を与えてしまっていたのです。

「勉強は、罰にはならないし、罰として与える性質のものでもない。」というお話でした。

これは昔、外国で本当にあった実話だそうですよ。 でわでわ。

Posted by: TAKO | May 21, 2005 at 12:57 AM

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