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February 21, 2005

新築の不幸

2月18日放送のフジテレビの番組「幸せって何だっけ」で、細木数子が興味深いことを言ってました。 芸能人相手だと「地獄に堕ちるわよ!」などと毒を吐く彼女ですが、一般論や社会問題について語らせたら、しごくマトモなコトを言っておられます。

で、2/18(金)の放送では、

「家を新築したら、3年以内に必ず不幸が訪れる。」

新築した全ての家庭において例外なく、大きな病気や事故・災難,浮気や不倫,家族の死など、何からの不幸が形となって現れるから覚悟すること。

だそうです。 思い当たるコト、ありますよね。 私はあります。

友人が新築した後、病気になったり、交通事故に遭ったり、愛人を作って新居から出てったりしてます。 二世帯住宅をローンで購入して引っ越した直後に突然、会社を辞めた友人もいます。

また、家を建てる際のジンクスとして、「夫(建てた本人)の死」があります。 これなどは、本人の気づかない魂の深い部分で自分の死期を悟った夫が、「家族のために何かを残そう。」と新築した直後に亡くなってしまうのではないか?と言われております。

何故、こんな不幸が起きるのか? 細木数子はこう言います。

「先祖の霊を大事にしないから。」だと。 墓参りもしない、お墓の掃除もしない、祖先の霊に感謝の意を表さないでいて、自分達家族の幸せだけを追求する姿勢に怒った先祖が不幸をもたらすのだと。 本来なら、新築する前に先祖のお墓を新しく立て直すのが良い。 それができないのなら、せめてお墓参りだけでもしましょうよ、と。

今の自分が生かされているのは、先祖代々のつながりがあったからなのに、それを忘れて利己主義に浸る現代人の目を覚ますために先祖霊が教えてくれているのです、と。

うーん、確かに一理あると思います。 不幸の法則として認定しようかな。 しかし、どうなんだろ? お墓を大事にしないからという理由で、かわいい子孫に不幸を与える先祖がいるのだろうか、警鐘と呼ぶにはチト厳しすぎやしないか? それさえも人生の試練として受け止めなくてはならないのか。

私は、「お墓なんて要らないし、入りたくもないし、墓に入らなくたって成仏できるもん。」と密かに思っていて、墓にこだわる先祖達のほうが間違っていると考えてます。 土から生まれたこの体は大地へ返すべきではないか、と。

新築の家庭に不幸がありがちなのはどうしてだろう?

もしかしたら、まだ成仏しきれないでいる一部の先祖や新居近くに漂う浮遊霊どもが幸せそうな家族の姿を妬んで攻撃しているのかもしれません。 そして、マトモな先祖霊達が子孫を邪念から守りきれないでいるとしたら? そのテの攻撃に対してATフィールド(バリアー)が張れる人は大丈夫だろうけど、普通の人はやられちゃいます。

最近、新築された皆さん、お墓参りしましたか? お仏壇に線香あげてますか? 祖先に感謝してますか?

「墓参へ行くなら、男系(夫側)の墓に参ること。」とは細木氏の言葉。 マスオさんの例を除き、多くのお嫁さんは夫の家系に組み込まれるワケで、妻の先祖を想うよりかは夫の先祖を敬うほうが無難でしょう。 もちろん、男系女系に関わらず先祖供養を絶やさない心がけは大切です。 そこまで形式にこだわらなくても良い、と私は思ってます。

霊障と聞くと何でもかんでも怖がって、普段はバカにしてる拝み屋とか新興宗教とかに頼ろうとするけど、不当な金銭を要求されることが多いですよね。 そんなアヤシイ拝み屋の言うなりになって高額の壺やハンコを買う必要はありません。 また、すべての原因を霊の仕業だと言うつもりもありません。

自分を生かしてくれている両親や先祖、自然への感謝の気持ちと行動があれば、そうした不幸を免れることができるハズと信じて。

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